店を一歩出ると弘明は目の前にいて、微笑む顔に胸がドキンと跳ねた。
「腹は、減ってない?」
その優しい口調だけで、まだ俺を好きなんだと伝わってくる。
それは妙にくすぐったく響いて、胸の中がゾワゾワとした。
胃のあたりを軽くさすりながら、「そうだなぁ」と言った俺の手に、弘明の手が重なる。
その事に一番に驚いたのは俺の胃だ。
大きく、グーーッと響いた音に、二人して笑う。
「じゃ、なんか食うか!」
「食いもん屋から出てきたばかりのやつの会話じゃないな」
「ほんとだな」
弘明が笑うから、俺も笑う。
弘明が嬉しそうだから、俺も嬉しくなる。
弘明の頬がさらに上がるから、俺の頬も上へ上へと上がっていく。
「ちょっとあるけど、うまい店あるんだ。そこでいいか?」
「あー、お勧めがあるなら任せるよ」
歩き始めた弘明の後ろを歩く。
横に並んで歩くのは、なんとなくもったいない気がして背中を見つめる。
こいつの背中ってこんなに広かったっけ? なんて考えながら見つめる視線が、いつの間にか熱を帯びている事に気付いて、気恥ずかしくなる。
俺は、いつだって求められるばかりで求めてこなかった。
だからだろうか?
求める事が、欲しいと思うことが、こんなに気恥ずかしいなんて知らなかった。
こんなに素直な感情が沸き上がるのに、この背中にしがみつく事が出来ないのは、俺自身に原因があると、よく理解しているつもりだ。
それにしても、久々に視界に映った弘明は想像以上にいい男に見える。
「ほんの数カ月じゃんか……」
「うん? なんか言ったか」
つい零れた声に、優しい顔で振り返った弘明に、意味もなくホッとする。
発情期の犬が、しがみつけるもの全てに腰を振るかの様に、弘明の一挙手一投足に胸が躍る。
「いや、別に」
「そうか? もう少しだから。まじ美味いんだぜ。大学の先輩の紹介で通うようになったんだけどさ。今じゃその店長の家に厄介になろうかって勢いでさ」
ハニカんで見せたその顔が妙に色っぽくて、ふつふつと湧き上がる、言葉にし難い感情が俺を支配した。
俺が今、こんなにお前だけに支配された感情を持て余してるというのに、何故今、見知らぬ者の話を弘明は始めるんだ。
「飯はもういい」
足を止めてそう言い放った声は、子供じみた苛立ちをそのまま音にしたような声だった。
それでも、言葉は止まらなくて、口調も声音も変える事が出来ずに言葉を続けた。
「俺がいんのに……、他の奴なんかいらないのに…………。もういい。どっか観光でもして帰る」
「えっ? いや、でも……観光って……そんなの飯食ってからでもよくないか?」
「じゃいい」
「あぁ、じゃ、いこ。ほんともう少しだから」
「そうじゃねぇよ。もういいって言ってんの」
「え? えっ、ちょっちょっと待てって」
呼び止める声を無視して、俺は来た道を引き返す。
「待てって!」
弘明に肩を掴まれた時には二人して、息を切らしていた。
いつの間にか、早足を通り越して駆け足になっていた事に気付く。
「一体どうしたんだよ。なに? なんで急に不機嫌?」
はぁはぁと、息を吐きながら俺の肩を掴んでいた手に力が入る。
もう逃がさないと言う意思がそこに見えた気がして、また弘明から逃げ出した俺に気付き、それを否定したくて声を荒げた。
「嫌なんだよ。嫌なんだ! 俺の知らない奴と、お前が仲良くする姿なんか見たくない。雄一とだってあんなに苦しかったのに、っ、……飯なんか、食えるかよ」
掴まれた肩が痛くて、振り払おうと思えば振り払えるだろうに、それをしなかったのは、それをしてしまえばもう二度と、この手が俺を捕まえない気がしたからかもしれない。
「なんだよ、それ……。なんなんだよ、お前」
そう言うと、弘明はその場にしゃがみこんだ。
「快晴。…………それってさ……それって、もう、相当好きじゃん。俺の事」
頭をくしゃくしゃと掻き毟りながら、首まで真っ赤に染めた弘明を見つめる俺は、きっと弘明に負けず劣らず真っ赤に染まってる。
「う、うっさい。誰も、今そんな話してないだろ!」
「知ってか? 快晴。そういうの……」
立ち上がり俺の左肩を右手で掴んだかと思うと顔を寄せ、耳元で囁いた。
「やきもちって言うんだぜ」
「ばっっっ!!!! だーーーーー、もう、そんなんじゃなぇよ、ばか! ほら、行くぞ」
「行くってどこに?」
くすくすと笑いながら、歩き始めた俺の後を弘明はついてきた。
「しるか! そんなのっ」
爆笑に切り替わった笑い声を後ろに聞きながら、俺も声を押さえて笑った。
好きだって言うのは、とっくに認めてた。
あの日から結局のところ何一つ変わってない。
それでもこんなに気分がいいのは、お前が笑って俺が笑って、そんな風にいる事があの頃の俺たちの様だからかもしれない。
何も考えず、弘明の隣にいられた俺は、一番俺らしかった。
だから弘明を好きになったのかもしれないなんて、今頃気づいてる俺もまた、俺らしい。
そうなんだよな。
結局のところ、俺はお前といるのが一番幸せなのかもしれない。
あぁ、どうやってそれをお前に伝えよう。
颯太さん。
あなたにも、この気持を分けてあげたい。
「なぁ、弘明」
「うん?」
「お前、まだ俺の事……」
「あぁ、大好きだよ」
当たり前だと言わんばかりに胸を張って見せた弘明の姿を俺はきっと一生涯忘れないだろ。
忘れたくないと、必死で見つめる俺の目が、弘明にどんな風にうつったのかも知らずに、俺はこの時間を噛みしめていた。
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